​AI OZAKI

​Human cooking

2019

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「​群馬青年ビエンナーレ2019」 群馬県立近代美術館

​Drawing

 人に連れられて行った宮城の閖上海岸で、ふと目に入ったきれいなかけらを拾った。

表面をなぞっていくとタイルの破片のように見える。玄関、風呂場、台所、ツルツルしているから水回りだろうか。

断面のガラス質の部分は鋭利なまま。かけらの記憶を想像する。土が盛られ、防波堤ができ、周りの時間は進んでいても

このかけらは止まっているようにゆっくりだ。

遠くて近い、現実のかけらになって、気がつくと喉の奥に引っかかっている。

 

 

8月11日

 電車で大舘まで向かい車を借りて阿仁マタギ資料館へ向かう。 

途中のコンビニのようなお店で、  ほとんど双子が出ます、と張り紙がついた塩まみれ の大きなゆで玉子を食べた。

産卵開始後の若鶏は排卵のリズムが安定しないため、 複黄卵を産みやすいそう。雨が降って緑がとてもきれいだった。

資料館は マタギが雪男を探しに行ったという新聞の記事から展示が始まり、面白かった。一通り見終わり、そばにあるくまくま園へ。

月輪ぐま の木登りの動きを見て、なかに人間が入っている ように思えた。背骨が柔らかい 。

ひぐまの喧嘩をガラス一枚挟んで1メートルほどの距離で 見て、熊がいっそう怖くなった。

大舘方面に戻り、来る途中に通りすぎた異人館へ行く。阿仁の鉱山でとれた菱マンガン紘の大きな固まりを見た 。

赤いすじこか内蔵のような、命の塊みたいな鉱物だった。

管理人のおばさんに教えてもらった阿仁駅にあるこぐま亭で馬肉オムライスを食べる。とても美味しい 。馬肉ラーメンも気になった。

大湯環状列石へ向かう。環状列石のまわりを熊避けの電気柵が取り囲んでいた。

 朋子さんと合流し、黒又山の入り口まで行くが日が落ち危険なので入らずに大舘へ引き返す。3人で大舘大文字祭りへ行く。

どの屋台にも行列ができていて、すごい人数が集まっていた。若い人が多い。大勢で 叩く太鼓の音がぴったりそろっているのをみるのは居心地が悪く怖かった。花火を上げる前に提供をアナウンスして、 どこの会社がどれだけのお金を出したかがわかる 地元のお祭りだった。

レーザービームと花火のコラボにジュピターが流れる。駐車場の広いLAWSONで車中泊。

 

8月12日

 近くの釈迦内温泉へ行く。300円で露天風呂つき温泉。

花岡平和記念館へ向かうが会館前だったので、先に共楽館や墓地へ行った。

共楽館はちょうど夜に行われる花火大会の準備で、 その一ヶ所だけわいわいと活気があった。現在、鉱山関係の施設はリサイクルセンターになっているようで 少し離れたところにみえる煙突からは 真っ白い煙がもくもく出ていて、雲と繋がっているようだった。

道端ですらっとした真っ黒い蛇に会う。  死んでいるのかと思い近づくとすごいはやさで逃げていった。

墓地には樹齢600年の銀杏があって、 人の胴体ほどある柱のささえが付いていた。中国の人たちを供養したお墓を探したが見つからず、草むしりをするおばあさんに訪ねると当時の記憶を振り返り、かわいそうだった、と話してくれた。秋田弁で くしゃっと笑いながら半分くらい聞き取れなかったけど、熊の糞があるから熊に気を付けてと教えてくれたおばあさんの表情がかわる瞬間がまだはっきり思い出せる。

平和記念館に戻る。花岡事件のことはほとんど知らなかったので衝撃的だった。もう一度車でぐるっとお墓を探してから小坂へむかう。お墓は見つけられなかった。

うって変わって小坂は 華やかで  観光地だった。鉱山の町も 今ではレアメタルのリサイクルでがっつり稼いでいます 、というようなポスターが印象的だった。 昨日の大文字祭りの雰囲気と近い 。  さらっとまわって 次へ移動する。

 黒又山リベンジ。山頂まで上る。鳥居をくぐって獣道のような道を進む。道以外は杉が びっしり生えている。 阿仁の山々はマタギの視点で見ていたが、 この山のなかでは 食べられる側で見られる側の感覚が強く、蚊とアブに まとわりつかれながら駆け抜けるようにのぼった。10分ほどで山頂へ。小屋と 小さな 社があるだけで、他はなにもなかった 。

 尾去沢鉱山へ向かう。洞窟が苦手なので一人じゃ絶対行かない場所だった。坑道すべてをつなげると青森から東京 まで行けるほどの距離になるそう。中はとても寒く水が垂れてきて、少しコウモリの 糞の臭いがした。地震がおきて湿って冷たい岩肌に閉じ込められるか潰されるかするイメージが何度も浮かぶ 。 掘り進め方を書いたパネルを見てもどうしても理解できなかった。ここで働くのは無理。

 私が産まれる前から家族で 親しくしていたおばさんのお墓が近くにあることがわかった。両親に具体的な場所を教えてもらい、三度目の黒又山方面。大湯の大円寺へ向かう。週末になれば うちに泊まりにきて、おばさんのことは 「ばば」と呼び私たち兄妹3人よく可愛がってもらったのを覚えている。  血は繋がっていないが家族だった。ばばは12年前にb型肝炎で70歳のときに亡くなった。 火葬後、秋田のお墓に納骨するということで行ったきりで、12年ぶり の墓参りだった。お墓の下に遺灰をざらざらとあけた光景が目に浮かぶ。まだ消化できていない。

 墓地のとなりには樹齢2000年と書かれた立派な杉がまっすぐたっていた。